三度、同じ時刻に同じ音が聞こえた。四度目の夜、私は扉を開けた。そこで見つけたのは、自分の筆跡だった。
四月から着任した中学校で、初めての宿直当番が回ってきたのは六月の初めだった。宿直室は北棟の端、音楽室の真下にあたる部屋で、前任者が残したと思しきコーヒーの染みのついた毛布が押し入れに畳まれていた。机の引き出しにはカップ麺の袋とボールペンが数本。窓の外は校庭で、外灯の光が薄く地面に落ちていた。蛍光灯がときどき、じじ、と小さく鳴った。
前週、同学年の村木先生が笑いながら言っていた。「田中先生、最初の宿直ですね。ここ夜中に音楽室からピアノが聞こえることがあるんですよ。前の宿直の先生が震えて職員室に電話してきたって。まあ気のせいでしょうけど」。私は苦笑いして「そういう話、信じないんですよ」と返した。中学の理科を教えて十二年になる。幽霊より揮発性有機化合物の方がよほど怖いと、本気で思っている。
深夜一時二十二分、日誌に明日の時間割変更のメモを書いていたとき、それが聞こえた。低く、ゆっくりとしたピアノの旋律。どの曲かは判別できないが、人が弾いていると分かる音だった。録音や自動演奏の機械的な均一さではなく、息をするように、わずかに揺らいでいた。私はボールペンを止め、耳を澄ました。一分経っても、二分経っても、音は続いた。
私は日誌の余白に「01:22 北棟方向より音楽様の音。換気設備の共鳴か。確認未実施」と書いた。深夜の廊下を一人で歩くより、合理的な選択だと思った。音は十五分ほどで消えた。翌朝、音楽室には何の異変もなく、グランドピアノの蓋は閉まったままだった。
翌月の宿直でも、同じ時刻に同じ音が聞こえた。今度は窓を開けて耳を傾けてみると、音は真下——音楽室から来ていた。建物の構造上の共鳴でも気象条件でもなく、明らかに鍵盤を押す音だった。「02:08 音楽室方向より音楽音。継続約二十分」と日誌に書いて就寝し、翌朝の確認では何も見つからなかった。村木先生に話すと、「やっぱり聞こえましたか」と楽しそうに笑った。「その部屋、昔から言われてるんですよ」と言ったが、それ以上は教えてくれなかった。
三度目は七月の末だった。音が聞こえ始めたのは午前一時四十分。今夜も風のせいにしようとしたが、できなかった。無風だったからだ。校庭の木も、廊下の窓ガラスも動いていなかった。私は日誌を机に置き、懐中電灯と音楽室の鍵を手に取って廊下に出た。自分でも驚くほど足が重かった。理科教師のくせに、今になって怖くなっていた。
廊下の窓から月が見えた。自分の足音が、やけに大きく聞こえた。音は近づくにつれはっきりしてきた。曲の輪郭が分かるほどではないが、誰かが確かに弾いている。弾いている者の体の重さまで感じさせるような、実在する音だった。音楽室の扉の前に立ったとき、音はぴたりと止んだ。扉に手をかけると、冷たかった。鍵を差し込んで、回した。
扉を開けると、音楽室は暗かった。懐中電灯で照らすと、グランドピアノの蓋が開いていた。先週の文化祭準備のとき私が最後に確認したとき、蓋は閉まっていたはずだった。窓は全て施錠されていた。誰もいなかった。ピアノに近づいた。鍵盤を懐中電灯で照らすと、白鍵の中央部分だけ、埃が拭われていた。何十本もの細い指の跡。誰かが、つい最近まで、この鍵盤に指を置いていた。
そしてピアノのベンチの上に、一冊の冊子が置かれていた。
宿直室の机の上に置いてきたはずの、私の日誌だった。開くと、今夜の頁がある。「01:40 音楽室にて演奏開始。02:03 終了。鍵盤の埃を拭う。」筆跡は、私のものだった。日誌をここへ持ってきた記憶がなかった。廊下を歩き始めてから、この扉を開けるまでの二十三分間、私には一つも記憶がなかった。
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