その夜、18階まで乗ったエレベーターの鏡に、私はまだ立っていた。

残業が終わったのは深夜一時を回った頃だった。月末の締め処理が長引いて終電を逃し、タクシーで帰った。マンションの前に降り立ったとき、辺りに人の気配はまったくなく、ざあっと降った雨の名残がアスファルトを黒く濡らしていた。

自動ドアを押して入ったとき、エントランスのガラス扉に自分の姿が映った。白いブラウスは皺だらけで、右手に黒いトートバッグ、左手にスマートフォン。右頰の小さなほくろが、いやに目についた。顔が青白くて、まるで知らない人間の顔みたいだと思った。残業のせいだ、と自分に言い聞かせた。

エレベーターのボタンを押して待った。深夜のせいか、ホールには誰もいない。スマートフォンの時刻は一時七分を示していた。乾いた空気の中で、エレベーターが降りてくる低い機械音だけが聞こえた。どこか遠い階から降りてくるその音は、いつもより長く感じた。

扉が開いた。中は無人だった。乗り込んで18のボタンを押すと、扉が閉まる直前に鏡の中の自分と目が合った。疲れ果てた顔。皺の寄ったブラウス。右手のバッグ。いつもの私だった。それだけだった。

エレベーターが上昇し始めた。階数表示が1、2、3と数字を刻む。スマートフォンを開き、翌日の会議の資料を流し読みした。体の芯が冷えていることに気づいた。外の雨で体が冷えたのだろうと思った。そんなことを考えながら画面をスクロールしていると、エレベーターが止まった。

表示は「9」。扉が開いた。廊下は薄暗く、人の姿はなかった。奥の蛍光灯がひとつ、消えかけるように明滅していた。湿ったコンクリートに似た匂いが、かすかに流れ込んできた。私は9階に用はない。このボタンを押した記憶もない。扉はそのまま三十秒ほど開き続け、それから音もなく閉まった。

エレベーターが再び動き出した。18。扉が開く。私はいつものように外へ出た。廊下の蛍光灯は白く均一で、見慣れた光景のはずだった。歩き始めたとき、ほんの少し、何かが違う気がした。廊下が、いつもより少しだけ長い、ような。足音の響き方が、微妙に違う、ような。気のせいだと思った。

部屋の前で、バッグの中に手を入れた。鍵を探しながら、ふと後ろが気になった。振り返ると、エレベーターの扉がまだ開いていた。誰かが乗り降りした様子はない。廊下に人はいない。ただ扉だけが、静かに口を開けたままでいた。その暗い箱の中の鏡に、人影が映っていた。

白いブラウス。黒いトートバッグ。私と同じ格好をした女が、エレベーターの中に立ったまま、こちらを見ていた。動かない。降りてこない。ただ、見ている。扉が閉まり始めた瞬間、その女はゆっくりと右手を持ち上げた。私は反射的に自分の右手を見た。バッグを提げていた。左手で。

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