平日の山に、一人で入った。地図にない道の先に祠があった。石盆には、生きた花が三輪、供えられていた。

六月の頭、梅雨入り前の晴れた日に、私は一人で山に入った。都心から電車で二時間ほどの低山で、週末になると家族連れで賑わう有名なハイキングコースだ。だがその日は平日の火曜日で、駐車場に車は私のものだけだった。地元の観光案内所でもらったパンフレットを折りたたんでポケットに入れ、登山口を抜けた。沢の音と鳥の声だけが聞こえた。誰とも会わない山道は、思いがけず気持ちよかった。

三十分ほど歩いた頃、コースから外れた細い踏み分け道が目に入った。地図にはない道だったが、草が踏み固められていた。誰かがよく使っているように見えた。地元の人の抜け道だろうか、あるいは猟師か。好奇心に負けて、そちらへ進んだ。スマートフォンのGPSで現在地を確認してから、踏み込んだ。

道は思ったより長く続いた。二十分近く歩いて、小さな空き地に出た。木々が円形に開けた、不思議な静けさの場所だった。風がない。鳥の声もない。その中央に、古い石の祠があった。高さは膝ほど。全体が黒ずんだ苔に覆われ、どれほど前に建てられたものか見当もつかなかった。

前の石盆には、白い花が三輪、供えられていた。花は生きていた。まだ水滴を含んで、みずみずしかった。切り口から、ほんのわずかに青草の香りがした。こんな山奥に、今日誰かが来たのだろうか。平日の朝に、この地図にない道を通って。私は少しの間その花を見つめてから、スマートフォンを取り出して写真を撮った。構図を確認しようと画面を見ると、石盆の中に水が溜まっているのが分かった。

それから、なんとなく、石盆の縁に手を置いた。触れてはいけないとか、そういうことを考えたわけではなかった。ただ、なんとなく。ざらりとした、冷たい感触だった。思ったより硬く、思ったより冷たかった。その瞬間、風が止んだ気がした。正確には、風が止んだのではなく、木の葉の音が、ふっと消えた。私はしばらくそのまま祠の前に立っていた。それから、踵を返した。

帰りの道は、来た時より長く感じた。同じ踏み分け道のはずなのに、木の配置が微妙に違って見えた。三度ほど立ち止まり、GPSを確認しながら歩いた。方向は合っている。でも、見覚えのない大きな岩が道の脇にある。来る時にはなかったはずだ。それとも、見落としていただけか。登山道に戻った時、安堵で大きく息を吐いた。

あと十分で駐車場、というところで、背後に気配を感じた。振り返ると、誰もいない。踏み分け道の入り口のあたりが、ひどく暗くなっているように見えた。木の幹が重なり合って、人の形のように見えた。夕方になったのだろうと思った。でも、時計を確認すると、まだ午後二時十分だった。影の位置がおかしかった。

家に帰ってから、撮った写真を見返した。祠の写真。石盆。白い花、三輪。私はそこで止まった。石盆の中に水が溜まっていた。その水面に、何かが映り込んでいた。私の顔ではなかった。アングル的に、石盆を上から覗き込むように撮った写真だ。水面には、自分の顔が映り込むはずだった。だが、そこにあったのは——下から見上げる顔だった。石盆の底から、こちらを見上げていた。目が、合った。私は石盆の縁を、上から触れた。写真の中のそれも、同時に、石盆の縁を——下から——触れていた。

この怪談の怖さは?

怖メーターでは、ホラー作品の怖さをユーザー投票で数値化しています。この怪談を漫画化したものをSNSでも公開中。あなたの「怖さ」の感じ方を、ぜひ投票で教えてください。