古い全身鏡の前で、右手を上げようとした。鏡の中の私も、同じように動いた——はずだった。
バスケ部の練習が終わる時刻は、秋になってから早まった。受験を控えた三年生は十月から活動が縮小されて、夕方五時半には体育館の電気が落ちた。私はシューズをビニール袋に突っ込んで、部員の中でいつも最後に体育館を出た。
帰り道は旧校舎の渡り廊下を通る。三階に上がると踊り場があって、そこに大きな全身鏡が一枚ある。フレームの金メッキが剥がれかけた古い鏡で、誰が置いたのかわからないし、なぜ踊り場にあるのかも知らない。でも私はその鏡が好きだった。ポニーテールを結い直したり、制服の乱れを直したりするのにちょうどいい。蛍光灯が一本切れているせいで少し暗いけれど、夕方の光が差し込む時間帯は、いつもより顔が綺麗に見えた。
最初に気づいたのは、十月の中頃だった。前髪を直していると、鏡の中の自分の目線がわずかにずれている気がした。私は正面を向いているのに、鏡の中の私の目が、ほんのすこしだけ右のほうを向いている。古いガラスの歪みだろうと思った。翌日も確認したが、よく見ればそんなことはなかった。思い込みだと結論づけて、忘れることにした。
だが十一月に入ってから、もう一度だけ気になった。疲れていた日だった。部活後に踊り場の鏡の前で立ち止まったとき、鏡の中の私の表情が、自分の認識と少しちがう気がした。私は無表情だったはずなのに、鏡の中の私は何かを知っているような顔をしていた。目が少し細くなって、口元がわずかに引き締まっている。説明しにくい顔だった。
日向に話すと笑い飛ばされた。「あそこ蛍光灯切れてるじゃん。暗いから変に見えるだけだよ」。それもそうかと思って忘れることにした。
十一月の末、部活後に一人で踊り場に残った。試してみたかったことがある。鏡の前に立って、右手を上げようと決めた。腕が動いた。鏡の中の私が左手を上げた。当たり前だ、鏡だから。今度は左手を上げようと決めた。腕が動いた。鏡の中の私が右手を上げた。当然だ。
でも何かが引っかかった。私が右手を上げようとした瞬間、実際に動いたのは本当に私の右手だったか。鏡の中の私は左手を上げた。だから外の私は右手を上げていたはずだ。でも私は本当に右手を動かそうとしたのか。それとも体が先に動いて、私があとから右手を上げたと解釈したのか。試しに、右手の甲にある傷を探した。小学校のとき転んでできた傷で、右手に刻まれているはずだ。あった。右手の甲に、小さな傷があった。だから大丈夫だ。私は正しく右手を上げた。
家に帰ってから、洗面台の鏡の前に立った。右手の甲の傷をもう一度確認した。あった。でも洗面台の鏡を見ると、傷がある手は鏡の中で左手側に映っている。当然だ、鏡だから逆に映る。では本物の私の傷は右手にある。それは間違いない。そう思いながら、なぜか傷を指でなぞりつづけた。
翌日、日向が言った。「昨日さ、帰るとき踊り場通ったら、鏡の前に誰かいたんだよね。後ろ向きで立ってて、振り返らないし気味悪くて通り過ぎたんだけど。ポニーテールで、バッシュ袋持ってて、あなたかと思った」。私は首を振った。昨日は日向より先に帰っていた。「誰だろ」と日向は言って、すぐ別の話を始めた。
ひとつだけ、どうしても聞けなかったことがある。その人は、バッシュ袋をどちらの手に持っていたのか。私はいつも、右手に持つ。
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