引越し初日に気づいた天井の染み。写真で記録し続けた百日間、私は何を見ていたのか。
三月の終わり、私は古いアパートの三〇一号室に引っ越した。駅から徒歩十二分、築三十二年の二階建て。不動産屋の若い男が「日当たりはそこそこですが、お値段の分はあります」と言いながら苦笑いした。家賃は破格だった。
荷解きを終えて仰向けになったとき、最初に気づいた。ベッドの真上の天井に、茶色い染みがあった。直径でいえばざっと二十センチほど。雨漏りかと思ったが、壁に水の跡はなかった。不動産屋に連絡すると「古い建物なので、もともとあったものと思います」と返ってきた。
朝、目が覚めると必ず染みを見た。意識してではない。ベッドから起き上がる流れで、視線が自然と天井へ向く。四月になっても、五月になっても、染みはそこにあった。丸く、ぼんやりしている。たまに、逆光の加減で人の顔のように見えることがあった。目と鼻と口の位置に薄い影が落ちる。気のせいだ、と思っていた。
六月の初め、スマートフォンで撮影を始めた。変化を記録したくなったからではない。むしろ「何も変わっていない」と確かめたかったのだと思う。毎朝七時、同じ角度から撮って、フォルダに並べた。
二週間後、写真を見返した。染みは変わっていた。輪郭がはっきりしてきていた。最初の写真では霧のようにぼんやりしていたのに、最新のものでは縁がくっきりと浮き出ていた。まるで何かが下から滲み出てくるように。私は上の階に誰かいるのか、と考えた。
七月、梅雨の中。染みはさらに変わっていた。形が変わっていた。丸くなくなっていた。縦に伸び、横に広がり、頭と肩と両腕の輪郭のようなものが現れていた。人が仰向けに寝ている、その真上から見た形だった。染みは、枕元の真上にあった。
管理会社に電話した。「上の階の方は水回りの作業をされていますか」と聞いた。担当者は少し間を置いてから言った。「四〇一号室は、今は空き室です。もう半年ほど前から」。空き室。では、染みは何から来ているのか。
その夜、眠れなかった。明け方に一度目が覚め、天井を見た。染みは私のすぐ上にあった。枕の中心、私の顔のちょうど真上。頭部の輪郭。肩の幅。静かに、そこにあった。昨日より形がはっきりしていた。
翌朝、写真を全部並べた。引越し当日から昨日まで、百日以上の記録。見ていくうちに、手が止まった。染みは動いていなかった。一枚一枚、位置を確認した。染みはずっと、まったく同じ場所にある。変わっていたのは、フレームの端に映り込んでいた私の枕の位置だった。最初は写真の隅にあった白い枕が、写真が進むにつれて少しずつ、少しずつ中心へ近づいてきている。今朝の写真では、染みの真下に、私の枕が写っていた。
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